レクチャー 11/22(日)13:00~14:00
「十日町からむしの今昔」

野生の麻に恵まれた越後は、
古くから麻布の産地であった。
最も古い麻布は、奈良の正倉院に所蔵されている
からむし(苧麻)の布である。
天平勝宝5年(753)3月29日に、
東大寺の仁王会(にんのうえ)で使用した
屏風袋の裏地として残っている。
国々で生産する布を税とした時代、
越後では、庸布(ようふ)として、
年に成人男子1人に付、麻布2丈6尺を納め、
夫役の代わりとした。
1192年、源頼朝が勅使に、越後布1000反を贈っている。
税や交易に使われた麻布は、越布(えっぷ)、
越白(えつはく)、白布とも呼ばれ、
他国に勝るその純白度は、
豪雪地帯の特性を生かした雪晒しによる。
上杉謙信(1530~1578)と養子景勝は、
財政力強化のため、
越後布と、すでに各地の織物の原材料として
京都や大坂方面に出荷され莫大な利益をあげていた、
からむしの繊維(青苧)の積極的な殖産振興政策をとる。
景勝の家老、直江兼続
(放映中のNHK大河ドラマ「天地人」の主人公)は、
からむしの栽培に力を入れ、
良質な原材料の確保に力を注いだ。
彼の著書「四季農戒書」には、
『七月 からむしを取るべきなり、
からむしは田に出来る米にまさりたり』とある。
景勝は、秀吉に仕え、
会津120万石・五大老の一人となったが、
関が原の戦いで石田方についたため、
米沢30万石に移封となる。
景勝は、米沢でも、殖産に努めたため、
良質な会津・米沢の苧は、この後、
全国へ出荷されてゆく。
【プロフィール】
1949 新潟県十日町市生まれ
1999 福島県昭和村で、ネオ昭和設立
昭和村で織られていた「会津上布」を、
『からむし織』と命名する
2009 十日町市内の畑、約900坪に、
からむしの苗を植える
http://www.karamushi.jp/