石段を下り、元の道を、右へ。
住宅街の中を、20分ほど歩くと、松尾大社に着く。
ここは、秦氏の総氏神様である。

大社は、後年五穀豊穣から、
酒の神として名を馳せたが、
境内にある衣手社と書かれた小さな祠が、
唯一織物の神としての名をとどめている。
かつて、嵐山と松尾の中間にあったという
衣手の森は、洪水に流されて今はなく、
この祠と歌枕の中に残るのみである。
秦氏は、古代、わが国の機織に多大の寄与をした、
新羅からの渡来人で、
283年、それ以前に養蚕の技術を伝えた巧満王の子、
弓月王と共に来日帰化した。
彼らは、養蚕機織に優れ、仁徳天皇は諸国に派遣、
機織集団を作って、絹の調貢を命ずる。
秦氏は、葛野から深草にかけて勢力を伸ばし、
養蚕、機織のみならず、
治水、農耕、酒造にも長けた職能集団で、
平安遷都にも大きく貢献し、京都文化形成の柱となる。
弓月王は、秦始皇帝の子孫なので、秦王とも呼ばれたという。
秦王には、「波多公」の姓が、
秦氏には、献上品の絹織物が堆く盛られたところから、
「禹都万佐」の姓が与えられ、
「禹都万佐」は、後、「太秦」に変わる。